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当時、わたしがいたオフィスは西新宿にありました。
いつものように隣のビルでランチを食べて、スタバでカフェラテを買って、さて午後の仕事に取り掛かるかなーという頃に、あの時間を迎えました。
「ドンッ」という大きな衝撃があったと思った次の瞬間からガタガタと激しく揺れはじめて、揺れはどんどん大きくなります。
この頃、小さな地震が多かったので最初は「またかぁ、はやく収まらないかなあ」とのんきに構えていましたが、揺れがいままでの比じゃない大きさになってきました。
デスクにおいてあったカフェラテが、小さな飲み口から飛び出してこぼれそうになったときに、これはいままでの地震とは違うということをようやく理解しました。
右手でコーヒーのフタを抑え、左手は前後に揺れるiMacを押さえながら周囲の同僚たちと「これやばいでしょ…」と顔を見合わせることしかできませんでした。
まだぐらぐらする
— ogugさん (@ogug) 2011年3月11日
そのうち、ビルからの放送が入って、机の下に身を隠すようにというアナウンスがありました。わたしもコーヒーのカップを持って机の下で揺れが収まるのを待ちました。当時のオフィスは25階だったので、揺れは実際の震度よりも大きかったと思います。
10分以上たっても揺れは収まりません
おそらくだけど、地震の揺れは収まっているけど免震構造のおかげで揺れを吸収しようとしてビルそのものが揺れている感じ。まだまだ揺れてるけど、少し揺れが静まってきた気がしたので机の下から出てみました。地面が揺れていて立って歩けない。船に乗ってるみたいで、酔いそうにクラクラしてきました。
異常事態だ
オフィスの窓から外を見てみると、さっきランチを食べにいったお隣のビルがゆっくりと、でも確実に見てわかる動きでしなっているのが見えました。「あー、これ隣のビルぽきっと折れたらわたし死ぬんだ」
思いのほか冷静にそう思いながら駅の方に目をやると、電車はやっぱり動いてないみたい。
駅からは人が溢れるように吐き出されているのが見えました。
ふとそばを見ると、離籍中の上司の机の引き出しが全開になって中身が飛び出していました。
しばらくすると、人事の人がやってきて「今日は帰れそうな人は帰って大丈夫です」と言いにやってきました。同じ内容のメールも流れています。
帰れって言われても…
と思って鉄道の運行状況を見ようにも、webサイトがぜんぜん繋がらない。みんな考えることは同じか…両親のことが心配になって電話をかけてみるも、すでに電話回線は繋がらず安否もわからない状況に。
帰ろうにも電車が動いてないんじゃ、無鉄砲に外に飛び出した所でこの寒さの中行く所もないので、自席でひたすらテレビをUstしていた配信をずっと眺めながら、「どうしよう、どうしよう…」と言い続けるしかありませんでした。
うちは、会社のある新宿から急行で30分ほどの所に住んでいるので、試しにgoogle mapsで徒歩の場合どのくらいかかるのか調べてみました。
だめだ。現実的じゃない。
そうこうしている間に、どんどん日が暮れて寒くなってきます。そろそろ決断しないと…
外を見ると、遠くで煙が上がるのが見えます。
これはお台場の工事現場で起きたボヤだったみたい。
このあと、同じ窓から千葉の方のコンビナート火災の炎が暗くなった頃から鮮明に見える頃には「案外遠くまで見えるもんだなあ」なんてすっかり麻痺していました。
とりあえず会社を出よう
とりあえず同じタイミングで帰ろうとする同僚と一緒に会社を出る事にしました。当然エレベーターは止まってしまっているので、25Fから階段で下ります。 非常階段の壁はペンキの表面がヒビだらけで、所々にはげたペンキの粉や塊が落ちていました。
下におりながらもtwitterで他の友人たちの動向を伺いつつ階段を下りていると、荷物を置いたまま着の身着のまま避難してしまった同僚が、鍵がなくて家に入れないということがわかりました。
まだ引き返せるフロアにいたので、彼女の荷物を取りに戻って届けることにしました。そしてその同僚の家で一晩宿を借りられることになったので、ようやくすこし安心できました。
外に出ると歩道が人だらけ
道路は歩行者で埋め尽くされていて、車は大渋滞。 渋滞の列には路線バスもいるけど、バスの乗客は空っぽ。後でバスに乗ろうとした同僚の話を聞いたら「いつ着くかわからないから」と、バスを下ろされたそうです。 この日は少しかかとの高いブーツを履いていたので、歩き始めてから1時間もしないうちに足が痛くなり始めました。思うように連絡がつかない
歩きながら普段smsで連絡とをっている母親にメッセージを送るけどエラーでちっとも送信できません。公衆電話が行列を作っていたのを横目に見えたけど、さすがにそこまでするなら早く友人宅につきたいしな…
iPhoneのバッテリーを気にしつつ、twitterをチラチラ見ながら歩いていると「POPメールなら比較的届くようだ」との情報を見つけたので、ガラケーのメールを送ってみたところ、いつもより時間はかかったけど送信完了になりました。
このときばかりは複数持っててよかったと思いました。
連絡が思うように取れないおかげで、お世話になる同僚と合流する場所を上手く定められなくてけっこう遠回りをしてしまいました。
やっと合流したときには会社を出てから1時間半以上たっていました。
後で行程を地図上に再現してみたところ、8.5kmも歩いていました。
やっと同僚の家についた
同僚宅は本棚から本が落ちていて、植木も倒れていました。思ったよりひどい状況…わたしの部屋も物が多い方だから大丈夫かな…朝出かけるときにノートPCをすこし不安定な置き方をして出てきたのが気がかりでした。
ひとまず家に着いてすこし落ちついたので、コンビニに買い出しに行くことにしました。
菓子パンの棚がカラッポだった。
東京でこんな光景はじめて見るかも。
ずっと外を歩き通しで寒かったので、とにかく暖かい物がほしくておでんとカップ麺を買いました。
やっと家族と連絡がついた
コンビニから同僚宅に戻った頃に、やっと母からメールが来ました。「オッケーテレビ買っちゃった〜42インチ」
あっれー…
心配性な人なので、さぞ連絡のつかないわたしのことを心配しているかと思いきや…それほど不安がっていないようなので、ひとまず安心しました。
歩き通しで疲れていたので、買い物から戻ってすぐに横になったけど、なんだか不安ですぐには寝られませんでした。
朝起きたらテレビがハリウッド映画だった
夜中にあった余震に何度か起こされたけど、すごく疲れていたので昼頃まで寝てしまっていました。25Fから階段を下ったおかげで膝の裏が筋肉痛です。ニュースは津波の映像が繰り返し流れていて、しばらく呆然とテレビを眺めていました
電話が通じるようになったみたいなので、母親に電話をしてみました。ちゃんと繋がります。
私「家は大丈夫!?物が落ちてきたりしなかった?私の部屋のパソコン床に落ちてたりしない?」
母「え?なにそれ?それより今日買い物行くって言ってたけど、どこで待ち合わせする〜?」
なんでこんな温度差あるの…
後でよくよく話を聞くと、うちのほうは海から遠いのでさほど揺れなかったようです。
両親もちょうど外出していた(テレビ買いに行っていた)ため、家の物が落ちてくるような事もなく、揺れをさほど体感することもなかったそうです。
しばらくテレビもつけなかったのでこんな大災害になっていることに気がつかなかったそうです。
わたしとしては、怯えた母がパニックになっていなかったのだけがよかったと胸を撫で下ろしたのでした。
回想は以上です
特にいい話とかありません。実は、この日の事を記録に残しておこうと思って下書きにしていた記事があったのですが、数日前にブログを再開するときに破棄してしまいました。
ただ、あの日の記録を書けなかったのはなんだか心残りではあったので、ブログテーマを見てこれを書きました。
不安に覆われてしまうと「自分もなにかやらなきゃ」っていう強迫観念に苛まれる事はあるとおもいますが、背伸びしたり無理したりするのはなんか違うんじゃないかなーとわたしは思います。
わたしこの間になにかしたっけなー、と記憶を巡らせていたら輪番停電の見やすいスケジュール表を作ったりしてました。とくに誰の役にも立たなかったみたいだけどw
結局被災地に行ったりボランティアみたいなこともできなかったけど、身の丈に合ったできる事を各自やるって人がある程度いてもいいんじゃないかな、と思います。
オチなくてすいません。
被災地の人たちが、一刻も早く笑顔と不自由のない暮らしを取り戻せるように願っています。